金沢と名古屋のご当地チョッパー。
琴柱灯篭の脚が折れていないことでクレームがついたのか、早々にこのバージョンは姿を消して脚折れバージョンに変わった。
このストラップがついたUSBを引き出しから取り出し、鈴の音を鳴らしながらPCに差し込むルーティンから1日が始まった。
webの企画・制作担当から、DMDP設計担当へ。
「元企画だからお客さんと話ができるでしょ」なんて、富山の某ディーラーに放り出されたのが最初の仕事だった。
車検サービスがなかなか理解できず、金沢の同系列ディーラーで客として該当サービスに入会して、業務理解するところからスタートしたっけ(笑)。
ハード面、ソフト面での変化も激しく、フローやルールの検討・立案・周知・徹底。
原理原則の理解がないと業務がなりたたない。標準と非標準の間で葛藤する日々。
平社員が部長クラスの会議に出てはトンチンカンな寝言をのたまう自殺行為。
印字設計3年説なんてものがまことしやかに囁かれ、こんな職場じゃダメだと奮起したのが懐かしい。
現場理解と発言権を強めるも、最終的には「決定権」に阻まれた。
多部署合意は管理職。それが管理職になることを決意した理由。
一緒に仕事をする仲間が苦しむ姿を見続けたくなかったし、自分の苦しみを同じように味合わせたくなかった。
だから理想の組織をつくり、業務改善の型ができあがるまでは現場を離れるつもりはなかった。
が、それを許してはもらえなかった。
YESマンや金太郎飴はいらない。
ただ、同じ方向を向いて歩ける後任を作れないまま上にあがったのは失敗だった。
職場の組織変更のタイミングに遊ばれた感があるが、そんなことは言い訳にしかならない。
自分の考えの甘さを痛感した3年。
さて、9年半を無駄にしないためにも、次の目標をさっさと決めてしまいたい。
心から面白そうと感じれること今の席で見つけないとね。
“人ひとりが幸せになるか、不幸になるかは、そばにいる人のちょっとした優しい言葉だったりすると思う。”
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